末路

結果こうなった。チラシの裏の読書感想文。

完璧主義者という名の不完璧主義者

今回読んだ本:多動力/堀江貴文

 

「仕事が遅かったり、仕事に忙殺されてしまっている人は、「仕事はすべて100点を取らなくてはいけない」という自己満足を、かなぐり捨ててみよう。 「完璧主義者」は、何度もやり直し、一つの仕事にアリ地獄のようにハマってしまう。目指すべきは、完璧ではなく、完了だ。  目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く。そして前の仕事には戻らない。「完了主義者」こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる。」

 

「絶対に完璧なものを作ろうと5年間準備に費やして第1回のフェスを迎えるよりも、見切り発車でも、不完全でもいいからとりあえずやってしまって、5年間トライ&エラーを繰り返したフェスのほうがクオリティも高く、お客さんも集まるものになるだろう」

 

仕事を始めてからよく先輩言われた事ではあるが「完全なモノを作る前に途中経過でいいから見せて」という話。管理者が作業進捗を管理しプロジェクトをコントロールするための指示ではあったが、指示を受けて作業する側にとっても、途中段階での自分のアウトプットに対するフィードバックを早い段階で受けられるため、トライアンドエラーを繰り返し、結果的にアウトプットの質も(途中段階で作成したアウトプットは必ずしも無駄にはならない)量もより精度の高いものになる。こんな誰でも経験するような話を何故いまさらとも思うが、事はそう簡単ではない。多動力の本質は、アウトプットするリズムを究極まで突き詰めるとこある。アウトプットの邪魔をするものの一切を排除し、効率化や、目的を達成する為の可能性をとことんまで突き詰めようとする、氏の属人性にまで昇華された行動の全てが、結果として多動力という、一つのスキルになっている。

 

では、凡夫ではどうか。

急に真似できるものでないが、考え方が成熟しないうちに、始めてしまっては結局全てが中途半端に終わってしまうのは目に見えている。それにはまず、自身が完璧主義という名の不完璧主義者である事を認識しないといけない。できるだけアウトプットの精度を高めようと自分で腹持ちして、あーでもこーでもないと繰り返す。ようやく自分の満足がいくものができ、人の目にさらされたとき、初めてモノの価値が決まる。そう、そのアウトプットは、いつ時点の、誰に対する完璧かが抜けいている。そこを見誤っているが故に、完璧主義者いつだって不完璧主義者なのだ。

 

凡夫は凡夫らしく、先ずは糞のようなアウトプットを如何に価値あるものに変えられるかを真剣に(価値提供者を交えて)考え、愚直に生産すべきなのだ。