末路

結果こうなった。チラシの裏の読書感想文。

グラップラー刃牙から読み解く方法序説

今回読んだ本:方法序説デカルト

 

そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」(バキ25巻より)

 

これは、大擂台賽での「範 海王」対「マホメド・アライJr.」戦を観戦していた、主人公・範馬刃牙が言った有名なセリフです。範の「蹴り技が無いからボクシングは不完全」とする指摘に対して、寂海王が刃牙に対して「彼の説を支持するか」と尋ねたところ「以前はそう考えていた」と、過去の自分を客観かつ冷静に捉え、現在の自身の見解を述べた訳です。こう述べた背景には実は伏線があります。刃牙は幼年期にボクサーに敗北しています。ボクサー達に「グラブをハメる、蹴り技が無い、組み技が無い、投げ技が無い、極め技がない、以上の理由で君らは闘技者として不完全だッ」と言い放った後、彼はジュニアウェルター級チャンピオンである、ユリー・チャコフスキーに敗北するのです。その後のこのセリフ。(実際に蹴り技があるかどうかはおいておいて)彼はこの敗北から、ボクシング、ボクサーという生き物の捉え方を大きく変えたのでしょう。自身をより高みに向けるため(地上最強の生物と謳われる実父よりも強くあるために)、自分に課題を科し、ボクサーを攻略しようとしたが敗れた。そこか得られる反省、利点は、決してボクシングの試合を観戦し、分析する事では得られない重要な経験になった。

 

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いたるところで目の前に現れる事柄について反省を加え、そこから何らかの利点をひきだすことだ。というのは、各人が自分に重大な関わりのあることについてなす推論では、判断を誤ればたちまちその結果によって罰を受けるはずなので、文字の学問をする学者が書斎でめぐらす空疎な思弁についての推論よりも、はるかに多くの真理を見つけ出せる
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デカルトもまさしく同じ事を言っていました。
関心を持ち、想像を巡らし、(失敗も含め)経験する事で、多くの真理が見つけ出せる。経験もせず、さして関心も持たずに事の真理は見つけ出せない。先ずは強く興味を持つこと。これが事の真理に近づく第一歩でしょうか。

 

つまり、板垣恵介デカルトということで。