末路

結果こうなった。チラシの裏の読書感想文。

今日の決断が、未来を変える

今回読んだ本:決断力/羽生善治


「決断」と距離を置いた人生を歩んできた。
思えば、中高6年間続けた陸上部も、うちの家系が陸上部の家系であり、何の疑いもなく自分もやるもんだと思って入っていただけ。モノにはならなかったいろんな競技も、結局は自分から決めてない。就職も推薦枠があるからだれか行かないかという教授の誘いに乗っただけ。ある意味それは自分なりの決断だったのかもしれない。

 

会社に入り、技術を学び、小さなチームを任されるようになった今、日々決断を迫られる。大きなものから小さなものまで。上からも下からも。「どうするつもりだ」「決めてくれ」「あなたが決めるんだろ」

 

決断は判断の数だけあって、決断の数だけ成功と失敗がある。成功や失敗は学びを与えてくれる。学びを活かし、判断の精度を上げていく。決断がまったくと言っていいほどなかった数十年。積み上げられたものがあっただろうか。そこに人としての学びはあったのだろうか。

 

決断をするとき、そこにはリスクが伴う。決断をしなくとも、リスクは消えてなくならない。過去決断をしてこなかったリスクは、今「金の計算」「人との距離感」「自分がどうしたいか」を鈍らせ、濁らせている。

 

----------
私は、積極的にリスクを負うことは未来のリスクを最小限にすると、いつも自分に言い聞かせている

----------

 

未来のリスク。
判断は一時の結果に終わらない。おそらく羽生名人は一つの判断・決断に対してその将棋の試合の先々だけでなく、次の、また次の、もしかするとその先の人生に関わる大きな範囲で未来のリスクをとらえているように思える。人生は連続性の塊。ひとつの判断で出た結果が次の何かに活かせると考える。私が決断をしてこなかったがゆえにいまリスクをかぶっているように。積極的に決断をしていくべきなのだ。

 

とかく、会社生活では、一挙手一投足がみなに監視され、その結果が成功でなければならない。決断をさせない環境が多い。そうやって育った会社人が、いつか重大な判断・決断を迫られたとき、果たしてそれは可能なのか。


↓その他気になったポイントなど
----------

・追い込まれるということはどういうことか、でも、人間は本当に追い詰められた経験をしなければダメだということもわかった。逆にいうと、追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ。

・意表をつかれることに驚いてはいけない。そんなことは日常茶飯事であって、予想どおりに進むことなど皆無といっていい。

・あくまで、冷静に自分のペースを守ることから手が見えてくる。この「手が見える」は、プロ棋士でやっていくために重要なことだ。 「手が見える」ことが過信に結びつくこともありうるが、不利な局面でも諦めずに、粘り強く淡々と指していくことが、勝負のツボを見いだすポイントになり、逆転に必要な直感や閃きを導き出す道筋になると私は信じている。

・つまり、何かを「覚える」、それ自体が勉強になるのではなく、それを理解しマスターし、自家薬籠中のものにする――その過程が最も大事なのである。それは他人の将棋を見ているだけでは、わからないし、自分のものにはできない。自分が実際にやってみると、「ああ、こういうことだったのか」と理解できる。理解できたというのは非常に大きな手応えになる。なによりもうれしい。そして、新しい発見があるとまた次も頑張ろうと、フレッシュな気持ちになれる。  私は、将棋を通して知識を「知恵」に昇華させるすべを学んだが、その大切さは、すべてに当てはまる思考の原点であると思っている。

・つまり、経験には、「いい結果」、「悪い結果」がある。それを積むことによっていろいろな方法論というか、選択肢も増えてきた。しかし、一方では、経験を積んで選択肢が増えている分だけ、怖いとか、不安だとか、そういう気持ちも増してきている。考える材料が増えれば増えるほど「これと似たようなことを前にやって失敗してしまった」というマイナス面も大きく膨らんで自分の思考を縛ることになる。  そういうマイナス面に打ち勝てる理性、自分自身をコントロールする力を同時に成長させていかないと、経験を活かし切るのは難しくなってしまう。それは、将棋にかぎらず、ビジネスの世界をはじめ、共通する課題であろ。

・どの道も漠然としていて、どれがいいかわからないときに、どれを選ぼうかと決断するのは非常に難しい。  複雑な局面では、私は、局面を何度も整理し直す。複雑になればなるほど、整理したいという気持ちは、子どものころから自然に身についていたのかもしれない。父は外資系の会社に勤めるエンジニアであったが、「仕事にゆき詰まったときは整理整頓」というのが口癖だった。休みの日になると朝早くから起き出して、部屋の片付けを始めるのだ。

・勝負の世界では「これでよし」と消極的な姿勢になることが一番怖い。組織や企業でも同じだろうが、常に前進を目ざさないと、そこでストップし、後退が始まってしまう。

・スクラップ・アンド・ビルド(破壊と創造)という言葉がある。米長先生のように、破壊することから新しいものは生まれるのだ。盤上で将棋を指すときは創造的な世界に進む、一回全部をガチャンと壊し、新しく違うものを最初からつくるぐらいの感覚、勇気、そして気魄でいたほうが、深いものができるのではないだろう。

・決断は自分の中にある  現状に満足してしまうと、進歩はない

・リスクの大きさはその価値を表しているのだと思えば、それだけやりがいが大きい。そちらに目を向ければ、挑戦してみようという気持ちも起きてくるのではないだろうか

・「プレッシャーはその人の持っている器に対してかかるものだ。器が大きければプレッシャーを感じることがないはずだ

・プレッシャーを克服するには、経験が大きく役に立つ。机上の勉強や練習では養えない。実戦の中でいろいろな局面にぶつかり、乗り越えることでしか身につかないものなのだ。そういう経験のカードをたくさん持つとよいと思う

・「絶好調!」と口にする人は、自分に暗示をかけている

・将棋にかぎらず、勝負の世界では、たとえ失敗しても次のミスを防ぐことが大事だ。かっとなったら、それはできない。自分の感情をコントロールすることは将棋の実力にもつながるのだ

・対局が終わったら、その日のうちに勝因、敗因の結論を出す。そして、翌日には真っ白な状態でいたいと思っている。勝った将棋もすぐに忘れたい。十代のころは、負けると悔しさを何日も引きずることがあったが、今は、たとえ負けても割合あっさりと忘れられるようになった。

・私は、年齢にかかわらず、常に、その時、その時でベストを尽くせる、そういう環境に身を置いている――それが自分の人生を豊かにする最大のポイントだと思っている

・ビジネスや研究の世界でも、たとえば、新しい技術を開発するのに、技術の解説書を読むことはプロセスとして大切だ。しかし、文献に書いてあることはすでに常識である。問題はそのあとだ。その先を目ざすには、自分で手を動かすことが知識に血肉を通わせることになる。現場で、あちらの方向、こちらの方向と試行錯誤を重ねるうちに、生きた知識が積み重なり、ステップアップする土台ができるのではないだろう

・ビジネスや会社経営でも同じだろうが、一回でも実践してみると、頭の中だけで考えていたことの何倍もの「学び」がある。理解度が深まることで、頭の中が整理され、アイデアが浮かびやすくなる。新しい道も開けてくるだろう

・将棋では、自分がよく知った戦法ばかり同じようにくり返していると、三年、五年、さらに十年という長い目では、確実に今のポジションを落とすことになる

・新しい戦型や指し手を探していくことは、新しい発見を探していくことである。自分の力で一から全部考えないといけない。だから、どうしても失敗することが多い……状況はいつも悪いのだが、一回やれば二回目は前回より少しはマシになるだろうと楽観的に考えている。それが次へのステップ、未来への収穫になる。成功する可能性があるかぎりは新しいことに挑戦していきたい。「何回か続けていけば、そのうちうまくいくだろう」、そういう気持ちで、私は取り組んでいる。現状の打破はそこにしかない。私は、その姿勢をいつまでも持っていられたらいいなと思っている

・才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを持続することであ

・たくさんの知識を活用できる、記憶力がいい、計算が速くできる、機転がきく……なども頭がいいといえよう。私は、ロジカルに考えて判断を積み上げる力も必要であると思うが、見切りをつけ、捨てることを決断する力も大事だと思っている

・以前、私は、才能は一瞬のきらめきだと思っていた。しかし今は、十年とか二十年、三十年を同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられることが才能だと思っている。直感でどういう手が浮かぶとか、ある手をぱっと切り捨てることができるとか、確かに個人の能力に差はある。しかし、そういうことより、継続できる情熱を持てる人のほうが、長い目で見ると伸びる

・「天才とは一パーセントの閃きと九九パーセントの努力である」  というエジソンの言葉は、どの世界にも共通する真理をついた言葉である

・将棋にかぎらず習い事は、自分が少しずつでも進歩しているのがわかると継続できるが、足踏みし上達しないと嫌になってしまう。「上達する」という喜びが、〝次の目標〟に向かう頑張りになるのではなかろうか。私は十五級から、道場に通うごとにクラスが上がっていった。  今考えると、目標への達成感が、私を将棋の世界へ没頭させるきっかけの一つになったと思う

・初心者が何かを学ぼうとするときは、いきなり大海原に立っても、どこに向かって何をしていいかわからないものだ。たとえば将棋の場合は、ほかの人の棋譜を並べたり、定跡を覚えるのが一つの勉強方法だ。それは前に通った先駆者の航路だが、真似てみることは大切だ。誰でも最初は真似から始める

・プロらしさとは、力を瞬間的ではなく、持続できること

・どの世界においても、大切なのは実力を持続することである。そのためにモチベーションを持ち続けられる。地位や肩書は、その結果としてあとについてくるものだ。逆に考えてしまうと、どこかで行き詰まったり、いつか迷路にはまり込んでしまうのではないだろうか

----------