末路

結果こうなった。チラシの裏の読書感想文。

仕事を滞らせている七つの原因


今回読んだ本:孫社長の無茶振りを全て解決してきたすごいPDCAー終わらない仕事がすっきり片付く超スピード仕事術/三木雄信

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

普通の人が仕事を滞らせている六つの原因

一つ目は、「計画に完璧さを求めること」です。
二つ目は、「一球入魂主義」で
三つ目は、「期限の甘さ」で
四つ目は、「数値で設定されていない曖昧なゴール」です
五つ目は、「検証の中途半端さ」で
六つ目は、「自前主義」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

要は、これの逆をやれば、孫社長にも認められる成果を効率よくアウトプットできるということなのですが、実は堀江貴文さんも、同じような事を言っています。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

多動力/堀江貴文

仕事が遅かったり、仕事に忙殺されてしまっている人は「仕事はすべて100点を取らなくてはいけない」という自己満足を、かなぐり捨ててみよう。「完璧主義者」は、何度もやり直し、一つの仕事にアリ地獄のようにハマってしまう。目指すべきは
完璧ではなく、完了だ。目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く。そして前の仕事には戻らない。「完了主義者」こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

まさしく、計画を含めて100点を取ろうとせず、多球入魂の精神で何度もやり直す。ただし、テキトーにやるのではなく、完了のためのゴールは明確に設定し、結果については、検証し、次に繋げる。ゴールまでの道のりは、一人(自前)で行うのではなく、必ずしも自分のオリジナルなくとも、結果がでるのであれば、いろんな人の協力をえてもよい。というのが、『短時間大量のアウトプットを出している』二人の共通点。

さて、仕事で外部(発注していただくお客様)に対して、商品をアピールする資料(≠提案書)を(営業部門に変わって)作ることがあり、超上級幹部社員の方々にレビューをして頂く機会があります。最終的に社長のお眼鏡にかなわなければ、ひっくり返されるのがわかっているので、部長・事業部長・執行役員レビュー(それぞれのレベルでレビューがある)では、方向性などは固めたうえで60点くらいで進めるんですが、途中のレビューで「完璧を求められる」ものだから、時間がかかる(結果的に、社長にみせたら、ひっくり返されるのに)。お客様に商品の良さを知って頂くのは非常に大事なことですが、業務をしながらこれ、やるぅ?結局、社長んとこもって行って作った方が早いんじゃないかと思う。

普通の人が、仕事を滞らせている原因の七つ目は
聞かなくていい人に承認を得ようとしている。だな。

朝、早く布団からでるのだ。自分の時間を過ごすために。

今回読んだ本:自分の時間/アーノルド・ベネット

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
日常の仕事でそんなに疲れるなら、それはあなたの生活バランスが悪いのであって是正すべき人間の勢力は、すべて仕事に吸い取られてしまってはならないのである。

(どうすべきか)あなたのエンジンを日常の仕事に使う前に(後ではない)、まずそれを何かに使うのだ。(朝早く起きる)

早起きが睡眠不足を招くとは思えない。睡眠というのはある程度は習慣の問題であり、怠惰な生き方の方にこそ問題があるからだ。

2時間、あるいは1時間でもいいから早起きしてみてほしい。仕事以外の何かをやるという点に関しては、朝の1時間は夜の2時間に匹敵する。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

早起きは苦手だ。いつだって、朝はいつまでも寝ていたい。昨晩あんなに冷たかった布団が、朝には二度と離れたくないくらい愛おしい。そんな中途半端に付き合いが長いカップルが如く、ダラダラと関係を続けてしまう。気づいた頃には、お互いいい年齢になっていて、別れる事も、決断する事もできぬまま、時間だけが過ぎていく。朝はカップルに似ている。

 

居心地の良さは罪だ。自分が今どこにいるかを見失わせる。

 

私には彼女がいた。彼女とは別れと出会いを繰り返しながら、6年目に別れた。趣味も、笑うポイントもあっていた(と思っている)。6つ年上の彼女は、私を年下の後輩のように扱いながら、彼氏として好意を抱いていてくれた。喧嘩はしたが、今思うと、全てが私のわがままだった。それに彼女は大人の女性として許してくれた。本気で怒る事はあまりなかった。若く、経験の少ない私は、その優しさは当たり前のものだと勘違いした。酷いことをしてきたと思う。何をするにも彼女任せ。彼氏として何かしてあげられていたのだろうか。

 

6年目の春先だったと思う。結婚の話をしたが、返事はつれない感じだった。ショックだった。それまでに何度か話はしていたのだが、その都度はぐらかされていた。その時、ふと思った。

 

「この関係はいつまで続くんだろう」。

 

違う。自分はいつまで続けようと思っているんだ。そう考えた時、これではダメだと思った。別れを告げるために会ったその日、彼女は結婚を決意して来た。しかし、もう自分の気持ちは決まっていた。この関係を続けていてはお互いがダメになる。と。その日、僕らは別れた。

 

うちに帰ってきて、まず二度と彼女と連絡がとれないよう、連絡先・住所の類は全て消去した。玄関先で泣きながら、でも、絶対に、例外なく、確実に、この関係を断つんだ。と決意したから。


あれから、
今でも早起きは苦手だ。でも、居心地の悪さを感じながらも、誰かに依存しすぎる事なく、自分の時間を、過ごそうとしている。強制される時間より、能動的に取り組む時間をどう確保するか。そう考えると、布団との関係は早めに断ったほうが良いのだ。

完璧主義者という名の不完璧主義者

今回読んだ本:多動力/堀江貴文

 

「仕事が遅かったり、仕事に忙殺されてしまっている人は、「仕事はすべて100点を取らなくてはいけない」という自己満足を、かなぐり捨ててみよう。 「完璧主義者」は、何度もやり直し、一つの仕事にアリ地獄のようにハマってしまう。目指すべきは、完璧ではなく、完了だ。  目の前の仕事をサクサク終わらせ、次に行く。そして前の仕事には戻らない。「完了主義者」こそ、大量のプロジェクトを動かすことができる。」

 

「絶対に完璧なものを作ろうと5年間準備に費やして第1回のフェスを迎えるよりも、見切り発車でも、不完全でもいいからとりあえずやってしまって、5年間トライ&エラーを繰り返したフェスのほうがクオリティも高く、お客さんも集まるものになるだろう」

 

仕事を始めてからよく先輩言われた事ではあるが「完全なモノを作る前に途中経過でいいから見せて」という話。管理者が作業進捗を管理しプロジェクトをコントロールするための指示ではあったが、指示を受けて作業する側にとっても、途中段階での自分のアウトプットに対するフィードバックを早い段階で受けられるため、トライアンドエラーを繰り返し、結果的にアウトプットの質も(途中段階で作成したアウトプットは必ずしも無駄にはならない)量もより精度の高いものになる。こんな誰でも経験するような話を何故いまさらとも思うが、事はそう簡単ではない。多動力の本質は、アウトプットするリズムを究極まで突き詰めるとこある。アウトプットの邪魔をするものの一切を排除し、効率化や、目的を達成する為の可能性をとことんまで突き詰めようとする、氏の属人性にまで昇華された行動の全てが、結果として多動力という、一つのスキルになっている。

 

では、凡夫ではどうか。

急に真似できるものでないが、考え方が成熟しないうちに、始めてしまっては結局全てが中途半端に終わってしまうのは目に見えている。それにはまず、自身が完璧主義という名の不完璧主義者である事を認識しないといけない。できるだけアウトプットの精度を高めようと自分で腹持ちして、あーでもこーでもないと繰り返す。ようやく自分の満足がいくものができ、人の目にさらされたとき、初めてモノの価値が決まる。そう、そのアウトプットは、いつ時点の、誰に対する完璧かが抜けいている。そこを見誤っているが故に、完璧主義者いつだって不完璧主義者なのだ。

 

凡夫は凡夫らしく、先ずは糞のようなアウトプットを如何に価値あるものに変えられるかを真剣に(価値提供者を交えて)考え、愚直に生産すべきなのだ。

全てを好転させるシンプルな考え方

今回読んだ本:シンプルに結果を出す人の5W1H思考/渡邉光太郎


「自分たちは、「電動ドリルというモノ」を売っているのではなく、「穴をあけ、子どもの写真を壁に掛けて幸せな気持ちになってもらうコト」を顧客が実現するサポートをしているというように、思考をジャンプかつ変換させることが、Big-Whyにせまり、視野を広げる上で大切なのです」

ドラッカーの「3人の石切工」の話ではないけど、モノを売って儲かる時代は終わっている。顧客の体験を含めたサービスで儲ける以上、そこにモノ以上の価値を認めてくれないとビジネスにはならない。

相手が何を求めているかを考える事は大事だ。短絡的に答えを出してはいけない。ましてや、「自分のしたい事」を「相手のして欲しい事」と混同する事だけは絶対に避けるべきなのだ。

プロパーの作業をサポートするため優秀なビジネスパートナーに発注したいと上司に言っても認めてはくれない。上司は、例えそれが顧客満足に繋がろうが、損益率を悪化させたくはないのだ。
妻の誕生日にバラを100本贈っても喜びは最初のインパクトだけ。妻は、とたえそれが自分に向けられた愛情であっても、本当は夫がもっと早く帰ってきて、子供の面倒を見、自分の時間が欲しいのだ。

結局のところ、人の立場にたって考えたら、大抵の問題は解決するんじゃなかろうか。

うつ人生の作り方

今回読んだ本:クスリに頼らなくても「うつ」は治る/泉谷閑示

 

頭の支配によって、心=身体を押さえつけてきた人生だった。

小学校に上がりたてのころ、上級生からいじめられた。悔しくてどうしようもなかったが自分が出した答えは「あえていじられキャラで行く事」。いじめられる事はなくなった。あれは、いじられる事で逃げざるを得なかった自分の弱さであり、嫌な状況を我慢してやり過ごすという自分の強さでもあった。ただ、その強さが後々自分を苦しめる事になる。

学級委員や生徒会役員には率先してやってきた。ただ、一番最初は他薦だった。小学校高学年になり、クラスから児童会長を選出する時期が来た。誰かが先生に「どういう人が児童会長になるべきなんですか?」と聞いた。先生はいくつか大人の言葉で児童会長になる人物の条件を言い、最後に「全体の雰囲気を明るくする、おもしろい奴」といった。それを聞いて、クラスの全員が私を指差した。

私は決して面白かった訳ではない。数人の仲間で面白い事をするのは好きだった。お調子者だった。はたから見ていた人間はいじられキャラに徹する自分を面白いやつだと思ったのだろう。無責任にも先生のその一言で、私に決まった。

嫌がる私に対して教師はこっそりと当時私が好きだった人物(なんで知っていたかは知らないが)を生徒会に入れるから児童会長をやってくれないかと言ってきた。子供ながら非常に卑怯な手を使うやつだと思った反面、大人から懇願される経験は初めてだったので、ここでも我慢をし、引き受けた。

その後、
両親や教師は児童会長になった自分を褒め称える。誇りに思うような態度をとる。そういう役職に就く事が『良い行い』であるというように刷り込まれてきたのだ。褒めてくれる人たちの顔色を伺い続け、ただただ自分の心=身体に蓋をして。その間、同級生たちは自分を見つめ、努力をしていった。自分は、ただただ与えられた役職を全う(積極的に生産的な活動をする訳でもなく)する事が目的になり、努力らしい努力もせず(正しい努力の仕方も知らず)、周りが担ぐ神輿に乗り、ただなんとなく流されてきた。


その頃から強く思っていた事がある。「昨日までの自分は大嫌い、今日今の自分がベストであるべきだ」何かで刷り込まれたのか、誰かに言われたのか、昨日の失敗に対する言い訳として言っていたのか、今となっては覚えていないが
そういう思いで生きていた。周りの顔色を伺いベストを尽くすほどの努力もしない結果、自己愛不全に陥っていった。

自分を嫌いになる必要はない。毎日の積み重ねが自分であり、今日のこの悩みも含めて自分なのだ。

誰かにアピールしなくていい。見せかけではない、正しい努力をするのみなのだ。